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西施-中国古代4大美人
投稿者 :
チャイナ7
投稿日 :
2009-05-18 (월) 21:41
閲覧数 :
4947
中国古代4大美人-西施
西施(せいし)は春秋戦国時期に越国の苧蘿山岸(浙江諸曁苎蘿村) の一農村で生まれたし、姓は施 で名前は夷光夷光である。 幼い時から天性がきれいで顔つきが美しくていつも村人々の羨ましさを買ったと言う。 一日は西施が川端で洗濯をしているのに、 彼女の美しい姿が清い川の水に映った。 この時魚が水に映った美しい西施の姿に酔って泳ぐことも忘れて見ている途中ますます川底に沈んだと言う。 その後人々は西施を '沈魚(美貌があまりにも美しくてそれを鑑賞した魚を川底で沈むようにしたという意味)'と言うようになった。 また ≪庄子≫でも彼女の美貌に関する有名なエピソードが伝わっている。 ある日西施が腹中の懸念によって自分も分からなく額をしかめて村を歩いていた。 額をしかめても相変らず美しい西施の姿を見て、 この村の醜い女が自分も西施のようにすれば美しく見えるかと思って顔をいっぱいしかめて歩いて行った。 すると村人々は醜い女の姿を見て皆頭を回してそっぽを向いてからは慌てて家に入って行って大門を閉ざして出なかったと言う。
春秋時代後期諸侯たちの争覇の中心は長江流域下流と浙江地域に移される。
それでこの地域を基盤で勢力を育てていた呉国と越国は絶えない戦争の渦に抜けて犬猿之間になる。
越国は夏国の禹の子孫で、 呉国は周王室の属国だった。 呉王闔閭の統治時期に呉国は楚国で帰順した大臣である伍子胥と有名な兵法家である孫武の補佐で国力が強大になった。
それで楚国を攻撃し大破して勝利を目の前に置いた瞬間、越国の攻撃を受けて失敗で終わってしまった。周敬王24年、勾践が越国の王に即位した。 呉王闔閭はこの時を乗じて越国を攻撃して先日の恨みを返そうとした。
呉王になった夫差は父王の命令を忘れないように猛者伍子胥(故事成語日暮桃源を参照)と孫子兵法の著者である孫武の手伝いと'薪の上で眠って[臥薪]'するなどの決心で結局越王勾践に復讐をした。
戦争に負けた越王勾践は夫差に降伏してそばに胆嚢を差し置いていつもその苦みを味わって[嘗胆、一面国を富強させて軍事力を育てながら復讐の機会を狙っていた。(臥薪嘗胆を参照)
この過程で呉国の夫差に敗れた越王勾践の忠臣である範蠡が復讐のために越国の最高美人である西施に芸能を教えて好色である呉王夫差に捧げた。
すなわち、戦争に敗れた越王勾践が勝者である呉王夫差に与えた女人が西施だ。 西施の生まれ及び死亡年度は記録にない。しかし両国の戦争中にあった事実だからおおよそB。C。 500年位に出生したはずだと推測される。
彼女は薪売りの娘だったし、先天的に非常に美しい外貌を持った。 胸痛の病気があったが時に眉をしかめる場合があったと言う。 非常に美しかったが眉をしかめる時もっと美しくて醜い女たちも西施の行動を模倣する場合があったと言う。結局美人に抜けて政治を構わなかった夫差は勾践に敗れるようになった。
呉国と越国の戦争の中で母国である越国が危機に処すると、 西施は敵国の君王夫差を誘惑するための政治的任務を負って夫差の愛妾になってその目的を果たすことで、 中国歴史上一番有名な美人計の主人公になる。
勾践は夫差を安心させるために毎年多い金銀財宝と美女たちを礼物で捧げたが、西施もそういう目的で呉王夫差に捧げられた美女中の一人だった。この時、範蠡は何回も呉に美女をプレゼントしたにもその效果が現われなくて直接全国各地を回りながら絶世の美女を探した。
一日は範蠡が苧蘿山岸に至ったが、若耶渓と言う所に二名の美女がいるといううわさを聞いた。その二人の美女は西施と鄭旦だった。範蠡は彼女たちの姿態を見るやいなや美しさに酔って自分も分からなくこんなに言った。 "もうちょっと整えたら世の中で探せない宝物になって必ず呉王夫差の歓心を買うことができるでしょう。越国の未来はあの女人たちに掛けている!"。範蠡は彼女たちに会った後自分の身分を明らかにして彼が来るようになった理由を説明した。
西施と鄭旦はひざまずいて礼をあげて、弱い田舍女の身でこんなに重要な国家の大事を引き受けることができるとは思わなかったといいながら、祖国のためにすべてを捧げることを決心する。
それで範蠡は会稽山近所に秘密場所を用意して美人計を成功させる計策を体系的に準備して行った。ここには西施と鄭旦の外にも全国各地で選発された美女10余人がいたが、教育内容はまず王に忠誠して国を愛する思想教育を実施した後、その次に一般的な知識を伝授した。
特に歌舞、 身持ち、 礼節と人を誘惑する技巧などを重点的に指導したし、 情報収集知識と技術も必修課目だった。 このような集中的な教育を通じて短期間に彼女たちは忠誠心と貴い品性を取り揃えた工作要員に養成された。 現代的の意味で言ったら西施は有名な女スパイだったことだ。
西施と鄭旦は多くの師匠たちの指導を受けながら抜群の才能を現わして、 3年ぶりに歌舞を学んで優雅な姿態と思わせぶりな趣を威張ることができるようになった。 越王勾践はこれらを試した後すごく満足した。 それで範蠡は西施と鄭旦などを連れて呉に向いた。
ところが、いつのまにか範蠡は西施と愛に陷ってしまったし、西施も姙娠をしているから、 二人はこの以上別れることができない間になった。だからどうやって姙娠した美人を呉王に捧げることができるのか? 呉へ行く途中に嘉興という地方に至って範蠡は西施が風土に慣れることができないという理由で半年間その所に泊まった。ここで西施は範蠡の子供を生んだが、 可憐にもこの幼い生命は親に選択される機会も持つことができなかったまま世を去ってしまった。範蠡と西施は国難で会って国難で別れるようになった。
夫差に捧げられた後夫差は西施の美貌をすごく愛した。西施は自分の身分を巧みに隠したし、 夫差はそういう西施を全然疑わなかった。夫差は西施のために大規模な土木工事を進めて霊巌山に派手な館娃宮を作ってあらゆる宝石で豪華に飾った。
またあらゆる工夫のあげく地を掘って大きい陶器を埋めて平たくした後その上をまた厚い木で覆った歩廊を作るようにしてそれを '響履廊'といった。 西施がこの響履廊の上を歩く時、彼女の足跡音が玲瓏に鳴らすようにするためだった。
だけでなく人工湖を作ってその周りに美しい花草を植えて湖の中に船を浮かべて一緒に遊ぶことができるようにした。 西施と鄭旦のいろいろな愛嬌は夫差の心を完全に捕らえたし、 こういうわけで夫差は政事を構わなくて彼女たちと一緒に歌舞と山水を楽しむことばかり夢中になった。
結局夫差は範蠡の計画どおり歴代亡国の君主たちが歩いた道へ一歩一歩近付いていた。越王勾践は軽挙妄動しなくて復讐の日だけ待ちながら、 呉国が対外遠征を去って軍事力を無くした後呉を攻撃する計画を立てていた。 ちょうど西施から呉が斉国を攻撃する準備をしているという消息を伝えて聞いて、勾践はあの時を乗じて兵力を派遣して呉国を助けるふりをしながら呉王夫差の歓心を買った。
その結果呉国は斉国征伐に成功したが、 呉国の相国である伍子胥は越国まで破滅させて後患を無くさなければならないと主張した。越国でもこのような伍子胥が彼らの計画を成功させることに大きい障害物になると判断した。 結局越国ではこの伍子胥を無くす工夫をした。
伍子胥の除去計画が用意されるとそれは西施の任務になった。 西施はいろいろな嬌態を使って呉王夫差に伍子胥に対する陰口をし始めた。 結局夫差は西施の言葉にだまされて伍子胥の忠実を疑うようになった。それで越国問題に対する討論の中で意見衝突が起きると夫差は伍子胥に自殺することを命じた。
悲憤した伍子胥は両手で自分の二つの目を掘りだした後、 部下に命じて彼が死んだ後に越国軍隊が呉国を攻め寄せることを見守るようにそれを城門外にかけておきなさいと言った。 ここにすごく怒った夫差は彼を残忍に裂いて皮袋に包んで海に捨てるようにした。 伍子胥が死んだ後伯嚭が政事を引き受けることで呉国は敗亡の道を急ぐようになった。周敬王38年秋、 呉王夫差は諸侯たちの敗者を決める黄池会盟に参加するために直接呉国の精鋭兵士を導いて呉国を去った。 ここに呉国の都城はがらんと空くようになったし、 勾践はこの機会を逃さなくて呉国の都城を攻撃して呉太子を姑蘇台で火を付けて殺した。 4年後呉国は大きい日照りで民たちは飢饉に苦しんだ。この時勾践はまた呉国を攻撃したが、呉国軍隊は城を守るだけに忙しくて反撃する暇もなかった。周元王2年、越国勾践は水軍を動員して呉国をまた攻撃した。 2年余りにかけた包囲攻撃のあげく呉国の城は崩れて夫差は姑蘇山へ逃げだして自殺した。その後西施の行方に対しては伝説的に伝えて来る話がある。
歴史的記録によると、呉国が滅亡される日範蠡は姑蘇台の下で昔の恋人西施を捜して慌てて太湖に逃げだして彼女と一緒に一葉片舟に乗って遥かな霧の中に消えたと言う。 範蠡は愛する人のために栄耀栄華を捨てて名前を隠したまま五湖を漂泊しながら世事を忘れて悠悠自適した生活を過ごした。多くの歳月が経った後、山東に陶朱公という名前を持った巨富が現われたが、彼の妻は花のように美しかったし、夫婦の仲もとても良かった。この陶朱公が範蠡で彼の妻は越国の美人西施だったのだ。
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