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中国歴史


中国の歴史年表

14,274 2008.04.18 00:59

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본문

三皇五帝
前2700? ? 三皇は伏羲、神農、軒轅。五帝は黄帝、高陽、高辛、堯、舜。伝説時代ということになっています。
前2000? ?前1600? 歴史書には王の系譜まで載っており、血族による皇帝制度はこの王朝から始まったとされています。伝説の王朝といわれてきたが、考古学的発掘が進んでいる。
商(殷)
前1600頃 ~前1050頃 神権政治が行われていた伝説の王朝だと言われてきましたが、今世紀に入ってからの殷墟の発掘で実在が確かめられました。また、甲骨文から、この王朝の約1000年後に書かれた、司馬遷の「史記」が極めて正確だったことも確認されました。
周[西周]
前1050頃 ~前771 太公望が武王を助けて天下をとったのがこの王朝です。諸侯を世襲制にし、税や軍役の義務を負わせる封建制度を確立し、『礼』を政治の中心に置く、礼政一致の政体を採りました。
春秋時代[東周]
前771 ~前403頃 周は東遷し、存続(東周)。諸侯の分立抗争が続く。各地の諸侯が力を持ち始めたのがこの時代です。孔子や老子などいろいろな思想が出ました。
戦国時代
前403頃~前221 周の力は完全に地に落ち、各国が領土と覇権を争って戦国七雄が抗争した時代です。
前221~前207 秦王・えい政が天下を統一して作った王朝です。彼は偉大な業績に酔いしれ、自ら「皇帝」という尊称をつくり、在位につきました。強行的な政策を推し進め、結局反乱で潰れました。
西漢[前漢]
前202 ~後8 有名な項羽と劉邦の戦いののち、劉邦が創った国です。歴史書「史記」を作り上げた司馬遷もこの時代の人物です。
8 ~25 漢では暗君などが出て、漢の王室の外戚、王莽が力をつけるようになりました。そして最後は帝位を簒奪します。
東漢[後漢]
25 ~220 劉秀(光武帝)が漢を再建、都を洛陽に東遷。「虎穴にいらずんば虎児を得ず」の名言で有名な班超が、西域を服従させた時代です。
三国[魏・呉・蜀]
220 ~280 後漢が衰えた後、群雄割拠の時代になり、三国に集約された状態の時代です。いわゆる「三国志」の時代で、曹繰、劉備、孫権、諸葛亮(孔明)の活躍の時代です。
晋[西晋]
280 ~?317 三国志で有名な司馬懿(仲達)の孫が魏からの禅譲で国を立て天下統一。皇族争いであっというまに滅びます。
東晋・十六国(五胡十六国)
304~439 少数民族(五胡)の13国と漢人の3国が興亡。晋は一端滅亡、南に亡命政権が誕生し、その結果、北の異民族諸国家と南の漢民族国家・東晋の勢力図となりました。
南北朝
439 ~589 北を統一したのは雲崗の石窟などを造った北魏。南の東晋は軍閥の台頭により政権が交代。のち、北魏も分裂し、北は三たび分裂時代に入る一方、南でも戦乱が起こります。
589 ~618 楊堅が統一したものの、息子の楊広(煽帝)の時代には滅んでしまいました。日本から遣隋使が来ていた時代
618~907 李淵(りえん)を初代皇帝として、一時武則天(則天武后)による簒奪を受けましたが(周:684?705 )、基本的には李氏20代、約300年続きました。安史の乱以降は藩鎮勢力、晩期になると宦官達にも悩まされ、皇帝は権限を失い国家は衰退します。王仙芝、黄巣の乱などの混乱の末、哀帝(李祝)が朱全忠(後梁の太祖)に位を譲り、滅亡しました。
五代十国
907 ~979 弱小中央政権と地方政権が乱立し、有力な節度使や州の行政長官が自ら「公」や「王」と称し、自分たちの支配が及ぶ土地で勝手気ままに暴君として君臨していました。そのような中で四方を山に守られた四川には唐から亡命した高官や詩人、芸術家の避難場所となりました。なお、現在の省区分はこの時代にさかのぼります
宋[北宋]
961~1127 趙匡胤が造った王朝。この時代、慈悲深く、芸術や学問への造詣が深い皇帝たちによって、士大夫に言論の自由が与えられ、芸術的にも技術的にも高い生活水準を維持し、街は庶民の活気でにぎわいました。第四代仁宗は自身も学者で、好奇心が強く、実用的な実験に富がつぎ込まれました。羅針盤とそろばんが発明され、最古の天文時計台の一つが建てられるなど科学的に発展しました。また、水滸伝の舞台になった時代でもあります。
916~1125 北方の異民族国家で大宋帝国のライバル。宋とは燕雲十六州を巡り激しい領土争いを繰り広げました。
1115 ~1234 女真族の国家。遼を滅ぼした後、宋にも攻め込み長江以北を支配しました。
南宋
1127 ?1279 金に攻め入られ長江以北を金に奪われ、宋は南遷して皇族の趙構が建国
1127~1368 チンギス・ハーン率いるモンゴル民族は瞬く間に金を滅ぼし、その勢いで南宋も滅ぼしてしまいました。元の占領後は漢民族はモンゴル民族中心の差別政策に苦しみます。
1368~1644 差別を受けている漢民族の不満を代表した朱元璋が天下を取りました。モンゴル支配の汚点を拭い去るために、意識的に偉大な中華の伝統や慣習を復活させ、「唐・宋にならえ」という統治方針を全面的に打ち出しました。三第皇帝永楽帝の頃には国も安定し、生活が豊かになり、中国市場でも最も輝かしい時代の一つに挙げられています。この時代は中国の大航海時代でもあります
1644 ~1912 満州族の王朝。この時代は優秀な皇帝が多くいました。二代皇帝康煕帝の時代に始まり、その後雍正帝、乾隆帝と続く三代の皇帝が1世紀以上にわたる清朝の繁栄と平和をもたらしました。しかし1790年代の後半から各地で続発する民衆反乱を皮切りに、清王朝の統制が利かなくなり、1840年のアヘン戦争で列強に徹底的に痛めつけられます。さらに1850年の太平天国の乱と続き、末代皇帝宣統帝(溥儀)の代・1912年、辛亥革命によって王朝時代の幕が下りました。
中華民国
1912 ~1949 1911年10月10日、武昌の孫文の支持者たちが主導権をとり、湖北省で清朝に反旗を翻した。いわゆる辛亥革命である。1912年1月1日、清朝22省のうち16省を制圧した革命同盟会は、南京で臨時国民大会を開き、孫文をアジアで初めての民主共和国、中華民国の臨時大総統に選出した。
中華人民共和国
1949 ~ 1945年8月14日、日本は同年7月のポツダム宣言に基づいて正式降伏を宣言。中国共産党率いる中国共産党は北伐戦争、土地革命戦争、抗日戦争と全国解放戦争の4段階を経てついに1949、蒋介石率いる国民党政府の統治を打倒し、1949年10月1日、天安門広場で中央人民政府毛沢東主席は厳かに「中華人民共和国」の正式宣言をおこなった。
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